名古屋市内在住
1973年生まれ(♀)
法務省、文科省の機関で、トータル約22年公務員として勤めた後、退職しセラピストの道へ。
・ABH(米国催眠療法協会)認定トレーナー
・NGH(米国催眠療法士協会)認定ヒプノセラピスト
・全米NLP協会公認プラクティショナー
・日本NLP協会公認プラクティショナー
・産業カウンセラー
・グリーフサポートセミナーベーシック
・認知行動療法セラピスト
・HSPカウンセラー
・日本アロマ環境協会認定アロマテラピー検定1級
その他
年齢退行療法、前世療法、暗示療法、パーツセラピー、グリーフセラピー、交流分析、カウンセリング手法など、名古屋・東京・神奈川のスクールにてトレーニングを受ける。
HSPの特性を持ち、機能不全な家庭で育ったアダルトチルドレン。
親から「生まなきゃ良かった」と言われ、両親の日常的な喧嘩、親の安定しない感情、否定・ダメ出し、無視、兄弟や他の子との比較、暴言、時には暴力もある家庭。勉強は常に完璧な結果を求められる一方で家事もやらなければいけない、下に弟が2人いるため「お姉ちゃんだから」と、しっかりすることや我慢することが当たり前。
親の機嫌を損ねないように顔色を伺い、いい子でいようと親の求める行動を取り、親の求める感情を表現し、認められるよう頑張る日々。子供らしく無邪気に楽しめる時間はなく、家庭は安らげる場ではありませんでした。
親から「女の子らしさ」を求められ、着たくない可愛らしい服を着させられ、"自分らしくある"ことも許されない環境でした。そんな環境の中で、だんだん自分の感情や、やりたいことも分からなくなって、高校・大学・公務員も親が納得するからと選んでいきます。当時は、その環境が当たり前になり過ぎて、家庭なんてこんなもんだろうなと、ごく普通の家庭に育っていたと思い込んでいました。
今、振り返ってみると、家に居場所がない感覚を埋めるかのように、学校の友人関係・職場の人間関係は、良好でありたい、居場所にしたいと無意識に感じて、職場では、周りの空気を読み、嫌われないように、誰とでもそつなく、愛想よく、無難にしつつも、どこかいつも疎外感があり、楽しんでいるふうな感覚の中、仕事は必要以上に頑張ってしまう日々。
人の気持ちや行動を優先するあまり、自分の感情やしたいことを後回しにしていくことが身に付いていきます。後に知ることとなるHSPの気質も大いに影響していたとは思いますが、当時はそんな言葉も知らず、空気が読めたり、周りに気を配れるのは良いことと感じつつも、空気を読みすぎ…、打たれ弱く…、何でもネガティブに捉えてしまう…。
そんな気質や育った環境の影響により、本当の自分はどこにいるのか…、本当の自分の感情は何なのか…、自分は何をしたいのか…、モヤモヤした感覚が常にありました。恋愛は、幸せを求めながらも幸せになれない相手を選んだり、愛されたいのに愛されるのが怖いため、短い付き合いで終わるパターンを繰り返していきます。
このような漠然とした生きづらさや上手くいかない恋愛を繰り返し、20代後半、たまたま本屋で見つけた本により、アダルトチルドレンを自覚。しかし、本に書いてあったワークをやった気になったり、アダルトチルドレンである旨を親に手紙で伝えて分かってもらおうとしたものの、受け入れてもらうことはなく、そのまま親とは完全に距離を取ったり。つまり、アダルトチルドレンを克服したふうで終わったまま、アダルトチルドレンであることも意識から薄れていきます。
職場では、年齢と共にだんだん責任が増えていく中、根底にずっとあった「どこか自分は人より劣っている感覚」が、より顕著になってきます。人より頑張らないといけないと、必要以上に頑張り過ぎたり、自分がやらなくてもいい仕事まで抱え、残業も増えていきます。昇格により更に責務が大きくなっていくと、若い頃にやっていた音楽や陶芸などの趣味を楽しむ時間的・気持ち的余裕もなくなり、仕事のみの日々。だんだん肉体的・精神的にも追い詰められ、過労がピークに達していた頃、パワハラも加わり、うつ病・適応障害により休職することになりました。
当時、心の病は、心が弱い人がなるものだという間違った知識や偏見を自分自身が持っていたため、心の病になって休職することになった自分を自分自身が受け入れられず、自分を責め、とにかく早く復帰をしようと焦る日々…。病院の医師や臨床心理士から、まずは休むことが優先だと諭されるうちに、少しずつ穏やかに過ごす時間も増えていきます。しかし、穏やかに過ごしていると、今度は休んで何もしていないことに罪悪感を覚え、病院の診察や臨床心理士によるカウンセリングだけではなく、快復に向け、自らも何かしなければ!と駆り立てられていきます。
そして、心理学や自己啓発系の本を読みあさり、自分と向き合う作業を行っていきます。その中で、認知行動療法・交流分析・NLP・心理学・心理療法・ヒプノセラピーを学ぶ機会を得ます。病状は一進一退を繰り返しながらのため、もどかしさや焦り、苛立ちも感じつつではありましたが、カウンセリングやさまざまな学びの効果、そして、たくさんの人に支えられたことにより、少しずつ、本来の自分の在り方を取り戻していき、心と体の快復へと向かっていきます。
本来の自分の在り方を取り戻していく、自分と向き合う過程においては、自分の過去、親との関係とも向き合うことになります。その過程で少しずつ親への気持ちがほぐれていき、13年間絶縁状態だった親と再会を果たすこともできました。この過程がなければ、もしかしたら、親が死ぬまで会えなかったかもしれません。
そのような日々の中、学んできたものを振り返っていくと、それぞれ、手法やアプローチの仕方は違っても、「潜在意識(無意識)」の持つ可能性と影響力の大きさは共通であることが分かりました。更に、子供の頃に親から受けた影響が、大人になってからの自分にいかに影響を及ぼしているのかということも痛感しました。「顕在意識(意識)」の力だけでは、人はなかなか変われない。そして、表面的な部分のみ変えようとしても深い部分に働きかけていかなければ、すぐに元に戻ってしまう。本当の意味での変容に繋げるためには、自分の過去を振り返り、親からの影響に気付き、「潜在意識(無意識)」レベルに働きかけていくことがいかに大切か。
そして、自分には無縁だと思っていた心の病になったということは、このストレス社会の中、どんな人でもそうなる危険性があるのではないか、という思いが巡ります。生い立ちが大人になってからも様々な影響を及ぼし、いろんな問題や生きづらさを抱える…。これは誰にでもあること。上手く切り替えたり、発散できれば、日々をよりよく生きていけるかもしれません。しかし、育ってきた環境や抱えてきたものの大きさは人それぞれです。上手く切り替えたり、発散できず、無理をしたり、溜め過ぎてしまう人の中には、心の病になったり、罪を犯してしまったり、つらい結末に向かうこともある…。サポートできる環境や、相談できる人がいたら、つらい結末へ向かう人を少しでも減らせるのではないだろうか…。
このように、自分が心の病になったからこそ、学べたこと、気付けたことがたくさんあります。その経験を活かしていきたい。自分の経験や学びを人に伝えていきたい。話せる場、自分を知る場、気づきを得る場を提供したい。問題と向き合い、苦しさや生きづらさから解放され、今の人生をよりよく生きていけるようサポートをしていきたい。そんな思いが強くなり、長年勤めた公務員を卒業することを決断しました。
そして、その後も、カウンセリングやヒプノセラピーの学びを更に重ねていきます。 そして、安心して話せる場で、癒しや気づきを得て、本来の自分らしさで歩いていけるお手伝いができる場所…、そんな空間を作っていけたら…、との想いから、このサロンを立ち上げました。
人は、人によって傷つき、悲しみ、苦しみます。しかし、「自分を知る鏡」も人であり、支え合ったり、喜びを分かち合ったりできるのも、また人だと感じています。私自身も、人生の中でたくさんの人と出会い、人を通してつらいことも素晴らしいことも、たくさん経験することができました。これから出会う人とのご縁を大切にし、その人の心に寄り添い、自分の最善を尽くしてサポートをしていきたいと思っています。
